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増田蔵六

天然理心流最終継承者
About “Zoroku Masuda”

天然理心流『増田蔵六の碑について』

当山の境内にの正面左にある「増田蔵六翁之小伝」の碑は、嘉永4年(1851)に門弟等が蔵六翁を偲んで建てられました。当山に墓所のある増田蔵六翁は、戸吹村の千人同心である坂本十右衛門の子として天明6年(1786)に産まれました。家は兄の三八が継ぎ、蔵六は近在の三沢家の養子に入り、その後40歳で増田家の養子となり、明治4年(1871)86歳で生涯を閉じます。
蔵六は、天然理心流の2代目、近藤三助(方昌)に師事して、その門弟の中で唯一、剣術・柔術・棍術の三術を修めます。その実力で実質的な天然理心流の3代目であった蔵六は、千人町に道場を開き、三術指南に当って多くの弟子を輩出します。
「小伝」の碑には、「門人いよいよ多く、すでに千有余人に及ぶ」と記されていて、その卓越した指導力がうかがえます。
当山には「墓所」と「小伝碑」のほかに、増田家より寄贈された「木刀」と「免許皆伝の巻物」があります。最近では、新撰組とともに天然理心流の武術が再評価されるなかで、各資料館の展示出品依頼も多く、またお墓参りに訪れる人々も増えています。