日蓮宗新聞社に当山の記事が掲載されました。
新聞社のよりの記事依頼を受け、副住職が当山檀信徒である中川敏昭さんに取材させて頂き、武道と仏教の共通点についてお話を頂きました。
記事のコピーを本堂に置かせて頂きましたので、お立ち寄りの際は是非お取り頂ければと思います。
▽以下記事内容▽
八王子市善龍寺檀信徒の中川敏昭氏にお話を聞かせて頂きました。昭和二十三年生まれ、八王子生まれ八王子育ち、塾講師、塾経営などを経て現在は高尾山にある「高尾駒木野庭園」の園長を務める。二十九歳から剣道を始め、全日本剣道連盟 剣道教士七段、日本体育協会公認剣道指導員の資格を持つ。
お寺と深く関わり始めたのは剣道の師でもある父が亡くなり自らが施主になってからと語るが、幼い頃にお寺の経営する幼稚園に通い、高校時代には座禅同好会に所属していた。幼い頃はお寺の堂内が薄暗く怖いイメージがあったが、幼いながらなんとなく落ち着く場所でもあったと語る。元々色々な事に興味を持ち、気になったらまず聞いてみる、体験してみるという性格。仏教とは、お経とは何なのか、今日まで伝わっている理由を知りたくて善龍寺の信行会に通い始めた。
最初のうちはお経の意味を知りたくて読んでいる感覚だったが、慣れてゆくうちに「時」の繋がりを強く感じる様になったと語る。今に伝わっているお経に触れるという事が、振り向けばお釈迦様の時代に繋がっている、そう思いながら読経しているととても気持ちが楽になる。その気持ち自体が「祈り」に繋がるのではないか、教えだけ聞いていても分からなかった事が、体験することで感じれた気がした。
また、仏教の理想と武道の理想に通じる部分が数多くあると語る。仏教は自分を見つめ、自分を教育してゆく宗教。武道の研鑽の中で「不動心」に至るという目標があるが、それは日常の積重ね、日々の心掛、様々な行いを積むことで揺るがない心に至るというもの。その中で仏教から取入れた「精神」を育てる訓練が数多くあり、現代でも行われている。過去に名を馳せた先人達の多くが最終的に仏門に入り僧侶になった例も多くある。
「稽古」の意味は「古」は古い、「稽(かかる)」は古きを得て新しきを知ると同義になり、稽古は古きを学び改善し続ける事だと語られた。日蓮宗は特に教えを第一にしている宗派だと感じている。日蓮聖人の時代の布教をそのまま現代で行うのは難しいかもしれないが、日蓮聖人より学んだ事を現代に合わせて伝えていくことが大切なのではないかと思っている。
日常の信行としては朝、夕お仏壇に向かって読経を行っており、一生懸命にお経を、お題目をお唱えする事で父、母に少しでも気持ちが伝わればと思いながら読誦している。 また、日常の中で善行を意識し、行い続けることで「感応」が得られれば、それが自分の信仰の形ではないかと思いながら日々過ごしていると語られた。