地涌の言葉 6月「地涌の言葉」「不軽菩薩の《毒鼓(どっく)の縁》」 此(これ)等(ら)によつて論(ろん)ぜば、仏(ほとけ)の滅(めつ)後(ご)において三時(さんじ)あり。 正像(しょうぞう)二千余年(にせんよねん)にはなお下(げ)種(しゅ)の者(もの)あり。 例(れい)…善龍寺2017年6月27日
お知らせ地涌の言葉 『法華経』の文字を生きる今の法華経(ほけきょう)の文字(もんじ)は皆(みな)、生身(しょうしん)の仏(ほとけ)なり。我等(われら)は肉眼(にくがん)なれば文字(もんじ)と見みるなり。たとへば餓鬼(がき)は恒河(ごうが)を火(ひ)と見る、人(ひと)は水(みず)と見(…善龍寺2016年11月27日
地涌の言葉 12月「地涌の言葉」実(じつ)にこの世(よ)においては、怨(うら)みに報(むく)いるに怨(うら)みを以(もっ)てしたならば ついに怨(うら)みのやむことがない。怨(うら)みをすててこそ息(や)む。 これは永遠(えいえん)の真理(しんり)である。 『ブッダの真理…善龍寺2015年12月8日